・「トビイロヤンマ その1」のつづき
沖縄の水田は、いつ頃からどれくらい減ってしまったのでしょうか?
かつては沖縄も稲作が盛んな地域でした。
明治末期には9,000ha近くの水田があり、戦後の1955年には12,532haも米を生産していたそうです。
しかし、水田は60年代以降急速に減少し、1975年は1,800ha、1985年は871haとピーク時の1/10以下まで減ってしまいました(令和2年は817ha)。
水田があるということは、用水路やため池なども維持され、トンボだけでなく水辺を利用する様々な生き物が暮らすことができます。
沖縄では、残念ながら水田の減少とともにこれらの生き物の多くが姿を消していきました。
トビイロヤンマは、私が観察したことがあるのはイグサや花き栽培の水田だけですが、稲田が広がっていたころは周辺の湿地や浅い沼などで多産していたことでしょう。
1985年発行の「沖縄の自然百科5 トンボを追って」という子供向けの本の中で、「今、水田がつぎつぎにサトウキビ畑に変わり、身近にいたトンボが減ってしまいました。」という文を見つけました。
1985年と言えば、60年代以降のまさに水田がなくなっていった時代であり、当時からトンボが減っていたことがわかります。
また、水田がまだ比較的残っている石垣島や離島においても、近年では圃場整備や農薬の使用、外来種の侵入などによって影響を受けていると考えられます。
沖縄の自然と言えば、亜熱帯の森やサンゴ礁の海が注目されがちで、これらは確かに世界的に見ても貴重な自然ではありますが、一方で水田をはじめとする身近な水辺環境が急速に失われ、生き物の減少だけでなくこのような自然に触れられる機会が減ってしまっていること、そして、このことが問題としてほとんど取り上げられないことは大変残念に思います。
【引用資料】
清水徹朗,2004.沖縄の農業 -その変化と現状-.調査と情報,210:15-21,農林中金総合研究所,東京.
内閣府 沖縄総合事務局 – 沖縄農林水産統計年報
岩附信紀,1985.沖縄の自然百科5 トンボを追って.pp.31,沖縄出版,沖縄.
未成熟時の灰桜色の複眼は成熟すると大きく変化し、今回掲載の写真のようにオスでは青色、メスでは緑色に輝きます。
オスの複眼の青色は、同属のマルタンヤンマの濃青色とは異なり、まるでサンゴ礁の浅い海のような淡青色。
そしてメスの複眼は若草色とでも言いましょうか。
いつ撮っても見とれてしまう美しさがあります。
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